パーソナリティらいふらいん

精神障害者自立コラムを書きます。

精神障害、完治って?

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こんにちは。さゆみんです。社会を賑わす精神障害と言われたいろいろな事件。私は障害のせいにする段階にあるからあの様な報道になったと思っています。11年程付き合ってきて思う精神障害の完治について書きたいと思います。

完治って

一般的病気の場合
風邪は引いて、薬を飲むか安静にしたら、症状がなくなり元気になった。ウィルス感染症状が出なくなった。
ガンは5年生存率と言われ、5年再発しなければ再発の可能性は少ない。
胃腸の症状、潰瘍やポリープと言われるものができていればそれを摘出、治療し治ったら普通の生活に戻る。
喘息は発作がでなくなって1年経過した 。

ではそれを置き換えて精神科の場合はどうでしょうか? この語彙に入れるとすれば


薬をのみ対処をし、症状がでなくなり元気になった

となるのでしょうか?このニュアンスとは違う完成度になります。

精神科の場合
1精神科に受診する
2精神科で診断をしてもらう
3薬が処方される
4薬に慣れる、薬を飲み症状が緩和される
5症状が緩和されたことに慣れ、生活を取り戻す
6症状を自覚し、理解する
7対処方法を一緒に考え、コントロールや軽減する方法を考える
8社会活動に自分のペースで参加する(社会活動をしながらの人もいます)
4番からの行程がなんどか繰り返されます。
急性期、慢性期、回復期とは?

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前回記事で書いた、急性期、慢性期、回復期をざっくり説明するとこんな感じになります。

急性期 症状を落ち着かせる、緩和させる、自覚する
慢性期 症状を自覚する、コントロールする
回復期 コントロールし、生活を継続する。社会活動に参加する方法を考える
最後は本人主体の生活に戻るというイメージです。

人間の発達段階を見ると分かりやすいかもしれません。

・発達段階の場合

親と信頼関係を築く

社会活動をしながら、他者との信頼関係を積む

就職や社会生産活動に参加する

・精神科の場合

症状を受理して、症状を対処する方法を身に付ける

症状がある状態で暮らしてみる

対応能力の経験を積む

人間の成長段階からすると学校、会社、出世や結婚となります。

精神科の場合は、受理、コントロール、応用テクといったところになります。

入院があったり、そもそも自覚している場合もあります。受診して病名を受理する事が要となります。

大きく違うところ

薬を飲んで症状が収まったら治るのは違い、対処を考えて症状を出にくくする行程が入るのが大きく違うところです。
体調を崩す過程が感情や気持ち、考えであるところです。簡単にはコントロールがうまくいきません。入院を挟まず心療内科で通院しながら仕事をしている人もいれば、自宅療養をしている方もいます。
自分のケースでは、入院を何回か繰り返し行い、少しずつ、働く事に慣れ、働き対人関係を学んだ結果、症状が安定した結果症状があまり出にくくなったという感じです。

治ることを目指すと具合悪くなった

11年付き合い、入院も経ていろいろありましたが、1つ大事なプロセスがあります。
完治を目指して向き合おうとすると体調が悪化する
7年ほど前に「完治がしたい、薬を減らしてもらおう、もう病院にいきたくない」と、思いました。

自分のとった行動 
病院に行かない様にする
とんぷく薬を飲まなくする
悩まない様にする
一人で解決しようとする

でしたが、悩まない事はできませんでした。
悩むことが好きだからです。そしてこの生活を送っていくうちに自己否定感が強くなりました。

そもそも病気になった自分が悪いんだ。

病気と認めなければいいんだ。自分は病気じゃない。

しかし不眠症状も止まらず、通院にいったことや今までの治療はなんだったのかと私は悩んでしまいました。 それは自分が想像した結果にはならなかったのです。
今の生活は毎日無事生活を過ごすことが続いている、薬の大幅の変更もなく過ごせているという状態です。たとえ具合が悪くなっても治療内容が変更になる事が減りました。

精神科の完治とは

薬を飲んだ、症状がなくなった、完治という方向ではないのです。
そもそも人に相談したり、お願いする事がとても苦手だったので、一人で抱えてしまい悪化したことがあります。精神の症状は感情や、考えや性格に司る部分がついてきています。つまり一生なくなることの方が難しい様に思います。
なくなるという事は自分の性格や考えを直すという事になります。性格は治せないのではないでしょうか。考えは治るというよりは、変えるや勤めるという方があっています。つまり治るという概念は自己を否定する方向に向きやすいと思います。
世の中には変わった人もいます。精神的に追い込みすぎな人とも出会いますが、病気と思わずに、気にせずに日常を過ごしている人もいれば、病気と認め薬を飲み生きている人もいます。病気と認める事も認めないことも自由です。

完治を目標にするよりは、継続を目標にする方があっていた

生活の継続を目指し、自信をつけていった結果、具合の悪化が避けられた
というのが極論ではないでしょうか。その結果薬を飲まなくなった。
主治医の先生にも会う回数が減ったというものが正しい道のように思います。完治にこだわらなくなり、対処方法を先生に聞きにいくようになり、だんだん変わってきました。大きく変わったのは家族と治療に励んだことです。
不本意に症状に振り回されない方法を練習しました。これからも練習は続くと思います。
今の時点では自分は完治したとは思っていないですが、症状は出にくくなったように思います。

まとめ

よい先生に巡り会えたのでこのような方向性にいきましたが、こうなるまでにもっと時間を有したかもしれません。薬をなくす事を目標にすると増えてしまいましたが、対処した結果薬を減らすことができました。つまり、病気でいう薬を飲んで対処する部分を あらゆる症状が出てきたのを記録し、対処していき、経験を積んだ結果、継続した日常ができるようになった。という事です。
薬を飲んだり、急に具合が悪くなって、振りだしという時期がなくなりました。