不安すぎて知識武装をしたくなる
その昔不安すぎて知識の収集に励んでいました。
・医者になる
・弁護士になる
・完璧なコミュニケーション能力を身に付ける
・コミュニケーションに必要な時事ネタを網羅する
社会で生きていくために必要なこと
という風に思っていっていたことがあります。
これは社会で存在するために自信が持てそうな肩書だった(ずれていますが…)
と今では思います。
逆に最初に価値とかメリットとかわかってもらえたら方が怪しい…
詐欺かもしれない・・・?
って思わないのかな?って冷静になるといつも自問自答します。
コミュニケーションをとる上で知識武装してしまいたくなってしまう体験談について書いてみたいと思います。
コミュ障だから走ってしまう知識武装
人と接するのが苦手、会社にいることも苦手、そもそも上下関係ムリ。
そんな時にいつも調べるカテゴライズは
- これを身に付けたら友達ができる
- これを身に付けたら仕事ができる
- これを身に付けたら就職できる
- これを身に付けたら嫌われない
- とにかく資格だ・・・!
みたいなものに走ります。
コミュニケーションを知識で埋めようとして、手に職とか、コミュニケーションについて調べたり。
コミュニケーションに必要なことは知識でも資格でもないです…
そこになんとなくいることです。
長年悩むたびに、存在価値ではなく、様子を見る事、観察することだったりします。
日常が嫌すぎて、海外逃亡計画とか、資格を取ろうと考えた
- 海外に住む方法とか
- 富を得られる資格とか
- 頭のいい人の生態系とか
よく調べてきました。
必要なのは
- 環境を変える事でもなく
- 資格でもなく
- 頭の良さ
でもないのです。
そこにいるスキルだと長年患えば患うほど痛感します。
知識があっても披露できる場面にいられるかどうかです。
知識で、カバーをしようとする
- 一般常識を身に付ける
- 社会人マナーを身に付ける
- 仕事の知識を身に付ける
知識を身に付けて、カバーすれば、人と付き合えるって思っていましたが、
知識を身に付けても身に付けなくても人とは付き合えるし、付き合えない人とは付き合えないのです。
頭よくても悪くても一緒のように思います。
どんなに優れた知識を持っていても、披露できるタイミングはこちらが選択できません。
人が必要な時に、初めて生きるものです。
知識を持っていたとして、知識を豊富に話したら、人間関係がよくなるのか?
というと知識を話せば話すほど人は離れていきます。
- 知識を与える立場の人ほど空気を読むのがうまい
- 頭のいい人尊敬できる人って、そこで偉そうにしていたわけではない
あっこの人頭いい人だなって思わせているという事になります。
頭のいい人って、別に頭いいですよって表現したわけじゃないです。
目の前にいる困っている人を助けた
にすぎません。
そこにメリットもデメリットもないんです。
何も考えてないのです。
知識武装は必要ない
すごい人に会うと思いますが、謙虚ですし、価値なんて考えてないのです。
いつも勉強したい姿勢と興味です。
信頼関係の上で成り立っている人間関係の方が素敵です。
この人素敵だなぁ
この人についていこう
この人なら
って思える人の方が近くにいたいです。
そこに知識もついてくるのですが、じっくり考えたときに、この人すごいなって人は
知識よりも良い人の方が先立っています。
必要なのは、
- 自分に嘘をつかない事
- 自分も周りも安心できる信頼関係や経験
- 成功するために身に付けた知識や勉強
です。
苦手克服したいと思ったら自然と努力する
コミュニケーションが苦手だからと思った時点で、どうしたらいいのかと思っているということです。
何とかしたいと思ったら、自然と勉強したり解決策を探しているはずです。
自然に問題解決に向かう力があります。そこは信じてみましょう。
私もその昔、
- 出世の方法
- 会社の一般常識やマナー
- 人間関係のノウハウ
について調べてきましたが、苦手なもののアップデートをしただけのように感じています。
もちろん勉強は無駄にならないのですが、勉強してもしなくても自信はつきませんでした。
今も昔も、苦手なものは変わっていない現実があります。
知識は苦手なものを認識する対処を知るために付けましょう
苦手を知ることはよいことですが、知識より、そこに居続ける方法とそこにいる自分は大丈夫か?の確認が大切です。
我慢してパワハラやストレスをため込んで、病んでしまってはせっかくの人生がもったいない
と過去、未来、現在の自分にこのブログを書きながら思っています。
本日のまとめ
存在することに知識は必要ない
存在することに価値やメリットを与えなくてよい
とりあえずいることで、のちに価値やメリットが生まれる
苦痛の場合は信頼を勝ち得る方法を探求しましょう。