保護入院から社会復帰した私の症状の流れ。
本日は11年目とはいえ一体どのくらい病んでたの?って思いつつ
元気になったはずなのに、病んでしまったので、自分でも過去を整理しつつ治療経緯を紹介してみようと思います。
今までの入院や、やらかした事例
私の症状の歴史を一挙に公開します。
16歳
不安な毎日で、パニック発作ばかりとハードな生活でストレス・プレッシャーを感じる毎日でした。
20歳
境界型人格障害と診察を受けて、衝撃でした。
大学に行きながら病む。
24歳
オーバードーズをしてICUに入り保護入院。今の先生に出会う。
24歳から27歳
任意入院を2回。
オーバードーズ1回。
突然キレたり、家出してみたり、アクションする。
アクションして、なんであんなアクションしちゃったんだろう迷惑かけたんだろう。
と衝動性に悩み、落ち込む。
すごくキレるか落ち込んでもう消えたいというレベルまで落ち込むかの繰り返しでした。
27歳から社会復帰。
療養入院ちょこちょこ。
現在に至る。
合わせてこちらも関連記事もお願いします。↓
飲んでいた薬が載っています。
自殺のきっかけ
早朝の介護と夕方の介護をしながら、精神症状と睡眠障害に向き合っていました。眠れない日が1週間とか続いて、とにかくつらい・生活をしていきたくないと思って自殺をしたようです。
消えてなくなりたい
逃げたい
というのがきっかけでした。
現在はその手前で休養入院をすることを覚えましたが当時はそんなシステムも知らなかったので、死ぬしかないって思ったのがきっかけです。(日記より)
保護入院をした時
保護入院とは、家族が都に保護してくださいと手続きして入院になるケースです。
体調が悪すぎて、待合室の人に耐えられない、説明するのもつらい…
気付いたら病院で発狂してしまい、自傷行為をしていました。
そして、保護入院を母に勧められ、保護入院したようです。
保護室での治療
頭をぶつけたり、自傷行為が止められなかったので、保護室という、鍵部屋に入ってしばらく治療をしていました。(日記より)
・刑務所並みのトイレ付きの部屋
・パジャマに着替えさせられる
・飲み物を飲むにも看護師さんの了解が必要
・ここは病院かよ?ふざけんなよ。何この部屋みたいな会話を先生としました。
最近よく先生と笑い話になります。
任意入院したとき
1回目
家でいるとつらいことがあり死にたくなったり、具合悪くなると入院をしていました。しばらく具合が安定せず、患者ともめたりしていました。
2回目
大変で入院をしましたが、その時は311の地震の時期で、壮絶でした。
祖母が亡くなったのもあり、衝撃の入院生活で、社会復帰を考えるきっかけになりました。
療養入院(レスパイト)
家にいたら行動に出してしまいそうだな、生活しんどいなって時に入院をします。
社会復帰したけどうまくいかず、3日入院
先日、過労で倒れたときも、入院
などをしていました。
ニートから社会復帰した理由は?
27歳で30まであと3年。という歳の焦り。
今の現状から抜け出したい、普通の人になりたいと思ったのと一生病んで生きていくのか?
病むにもお金が必要だと思いましたが
一番大きかったのは
家族に信用してもらいたい、しっかりしたい
というのがきっかけでした。
一通り病んだあとは復活のみ
27歳というタイミングもありましたが、
- 入院したり
- 警察沙汰になったり
- ものすごく落ち込んだり
一通り病み切ったというのもありました。
ニート3年目でコツをつかんだともいえます。
保護入院からいろいろありましたが社会復帰もしています。
障がいを隠して、クローズ就労をしています。
今大変でも必ず、こうなる場合もあります。
病んだときはホームレスや生活保護、死ぬことが目標でしたが、現在は生活ができています。
自分の参考にもしますが、読んでいる人の参考資料になればうれしいです。